2012.03.23    カテゴリ:  古人に学ぶ 

   私の履歴書(中村汀女)より 熊本の小湖のほとり

 「日露戦争はこの時代にはさまる。わが村からも何人か出征した。母がよく私を連れて遊びに行ったみつばあさんの家は、田んぼから吹き入る西風が涼しかったが、そこの縁側の柱をくるくる回りながら、私は「日本勝て」としきりに言っていた。」

 「さて戦勝、どこの村でも凱旋門を立てよとのお触れがでたようだ。
 父のところに皆が相談に集まり指示を仰いだ。そして成立したのが、各戸に一つは持ち合わせの藻刈り舟二そうを、堤の上に向かい合わせに押し立てて、その間に万国旗が渡された。私たち子供の誇らしかったこと。」

 「藻刈り舟と言ったが、江津湖という小さな湖水の岸の村々であり、それに沿う堤は、塘(とも)と呼ばれて加藤清正、いわゆるせいしょこ(清正公)さんが作ったというカーブ見事な長堤だが、村人たちはその湖水の藻を刈って肥料にし、禁漁区とはいえ、駐在の目を盗んで、フナやコイを銛(もり)で突いた。」

絵はがき22-水前寺の下流江津湖の景




引用:
私の履歴書 中村汀女(日本経済新聞 昭和47年5月13日~6月4日連載)①より抜粋






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