2012.03.26    カテゴリ:  古人に学ぶ 

   私の履歴書(中村汀女)より 釣りの楽しさを知る

『村人たちは江津湖のフナやコイを銛(もり)で突いた。父もその一員であり、大型のフナの、その銛傷から噴き出る血は、痛ましくもあったが美しくもあった。禁漁区でも、馬尾(まなお=細い釣り糸)一本釣りの漁だけは許されていたので、父には楽しみの釣り舟が、いつも塘(とも)の真下につないであり、ここから、私は生涯(?)の希望である釣りを覚えた。

 塘は大事な道路であり、一種の物見ごとき役を果たしていた。そこを出れば湖の対岸の村をながめ、遙か東方に阿蘇が横たわる。そこまでを約十里(40㌔)ほどの遠さと知ったのは後年のことであって、彼方東の空を区切る阿蘇連山までを、私は「わが国」-日本ともいいたき気持ちで過ごしてきた。山の彼方は見知らぬ他国であった。

 晴れた日には川には藻刈り舟があちこちに出た。細竿二本を入れてもぎとるのである。濃みどりの藻がたっぷり竿先に持ち上げられ、水の面をはなすとき、一ゆすりすると泥が洗われる。しかしその濁りはすぐまた澄んでゆく美しい水の湖であった。そういう藻刈り舟のあい間に父たちの釣り舟がまじる。私は幾つごろからその舟に座るようになったか。とにかく、父はどこにも連れていった。はじめは舟べりに胸を押えて、飽きなく水中をのぞいたのを思い出す。水の世界の面白さ、魚が走り、藻がなびく、そして水底にはまたさまざまのものが棲んでいた。手長えび、どぐら(なまりか)赤い腹のいもりもいた。ながめていると自分も水の世界の一員になっている思いであった。

 父が餌つけてくれた釣り竿を手にし始めた年を思い出せない。



 「ホイ、引いてるぞ」と言われて引き上げる糸に、ビンタ-たなご-がかかって来たそうした日から、私には世に釣りほど楽しいものはない気がしたのである。そして水棹(みざお)で舟をこぐことをを覚えた。舳(へさき)に立って棹を右に左にさしてゆくのは初歩。大人たちは、みな艫(とも)にいて、片側のみの棹どりで舟はすっすと進むのである。私にそのこつがやがてのみ込めた。

 阿蘇からの伏流がこの岸に来て清水となって湧くのだが、その湖底の砂地に、突き当てる水棹の快い感覚を私は知った。

(中略)


 私は舟に乗らねばならぬ釣りよりも、もっと手軽な岸で釣り竿をさし出したり、堀川と呼んでいた水田の間を流れる小川の、石橋に行って一人で釣った。そこにちらちらと見えているビンタを何匹か釣ればよいのである。』

絵はがき05-江津湖の釣り船



引用:
私の履歴書 中村汀女(日本経済新聞 昭和47年5月13日~6月4日連載)②より

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。






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