2010.07.03    カテゴリ:  古い絵はがき 

   中ノ島と飯田山

古い絵はがきでは,かつての中ノ島あたりの下江津湖を見ることができる。
明治時代のものと思われる。

絵はがき04-風光明媚なる画図湖の眺望
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絵はがき07-画津湖
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絵はがき12-水前寺下流の江津湖
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絵はがき20-水前寺の下流江津湖の景
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背景には飯田山が写っていて,撮影位置を確かめる目印になる。
当時の中ノ島は箱庭のように小さい。右岸側の水路も今よりずっと狭い。

清水正元氏著の「澄んだ湖をつくる~阿蘇山麓からの提言~(朝日新聞社)」には,昭和11年頃の中ノ島の様子が,次のように書かれている。

「当時,下江津湖の中ノ島は水位が下がると江津塘と陸続きになっていて,二,三本のエノキとアキニレが生えていた。高さ数メートル,茎の直径は10センチあまりに過ぎなかった。画図橋(当時は下江津橋)の方からみると,エノキの株下がこんもりとマンジュウ形に盛り上がって,水が多い時は裾を水面に静かに広げた小さい島であった。~(中略)~その後,昭和五十五年,四十年ぶりに熊本に帰って訪れた中ノ島は,昔とすっかり変わってしまっていた。昔のエノキは大空に聳えて島を覆い,茎は直径五〇センチ以上にもなっていた。全島竹の林となって江津塘から切り離され,周囲を石垣で囲んであった。既に中ノ島はキタミソウが生育できる環境ではなくなっていた・・」


絵はがき22-水前寺の下流江津湖の景
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絵はがき27-江津湖中島の景
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絵はがき-江津湖(木舟)
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私の父たちも,こどもの頃は中ノ島あたりで泳いでいたという。

今ではすっかり水上の森のようになり,サギのねぐらになっている中ノ島。何度か上陸したことがあるが,石積みで護岸された部分があり,父の時代に売店があったというのもうなずけた。

中ノ島と飯田山091012
↑クリックで拡大 現在の中ノ島と飯田山 2009/10/12撮影 下江津湖にて


参考文献:阿蘇山麓からの提言 澄んだ湖をつくる 清水正元著 朝日新聞社







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