2012.03.31    カテゴリ:  風景 

   芭蕉園と土筆(つくし)

加勢橋から、県立図書館を横目に加勢川沿いに下ると、
左手に芭蕉園がある。

この一帯は湧水の池を持つ日本庭園で、
比較的規模の大きな芭蕉林を見ることができる。

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詳細については無知だが、
この庭園は江戸時代後期に造られ、
細川内膳家の住まい「砂取邸」や高級料亭「江津花壇」などを経て、
熊本県の公園に移されたようだ。

今は立派な県立図書館が背後にそびえる。

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湧水の湧き出し口近くには、
小さな水神さまが祀られている。

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午前中の強風も和らぎ、
温かい日がさした。

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2012/03/25撮影 上江津湖にて

参考文献:
熊本市にある旧江津花壇(旧砂取邸)庭園の変遷に関する研究

2012.03.30    カテゴリ:  風景 

   朝日が昇る下江津湖

夜明けの江津湖120325-2

山の端より、朝日が昇る下江津湖。

水面ではカイツブリやカモが騒がしく、
頭上をサギやカラスが忙しそうに飛び抜けていく。

ポーポーポッポーとキジバトの鳴き声も聞こえる。



2012/03/25撮影 下江津湖にて

2012.03.29    カテゴリ:  保全活動 

   ブラジルチドメグサ 定着から1年

江津湖で、ブラジルチドメグサを初めて目撃したのは、
2011年4月9日だった。

その後、地元ボランティアの方や行政などが連携して、
駆除が何度か行われた。


夏が終わり、冬を越え、1年が過ぎた。

今年の3月25日に見たところ、江藤ボートハウスよりやや上流の大曲には、
残念ながらブラジルチドメグサがまだ残っている。

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▲ 2012/03/25 大曲

水中から水際、陸上部まで広がっている。
除去されても、回復する速度が速いようだ。




胴長をはき、根元から刈り取ってコンテナに入れる。
コンテナが満杯になると、高い土手の上に持ち上げて乾いた所に広げる。

1時間もしないうちにくたびれた。
刈り取ったのは2割ほどで、根は地中に残っている。
効果がないどころか、逆効果かもしれない。


本来は、ネットなどで拡散防止をした上で、表層の土ごと除去し、刈った草は焼却がよいとされる。
また、筑後地方で行われた研究では、夏の暑さで勢いが弱まった秋頃に一斉に除去し、他の植物が枯れ常緑のブラジルチドメグサが目立つ冬に、残りを除去すると効果が高いとされる。

一度の除去で根絶できることはないので、
何度も点検して、根こそぎ取る必要があるようだ。


もう合鴨君にでも頼むしかないのだろうか。



<これまでブラジルチドメグサを目撃した位置>
(平成23年4月9日~24年3月25日)

  ・上江津湖大曲
  ・中の島二号橋下
  ・江藤ボートハウス屋形船乗り場
  ・神水本町駐車場付近
  ・画図橋より50m下流右岸
  ・広木地区公園

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▲ 2011/07/03 大曲

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▲ 2011/08/26 大曲

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▲ 2011/12/31 神水本町 ブラジルチドメグサボタンウキクサ

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▲ 2012/03/25 江藤ボートハウス屋形船乗り場




江津湖にて

参考文献:
ブラジルチドメグサ除去方法(案)(2008年7月、九州地方整備局 筑後川河川事務所)
福岡県における外来水生植物の生育状況と管理対策に関する研究(H18-20、福岡県保健環境研究所、他)

2012.03.29    カテゴリ:  風景 

   下江津湖 寒の戻り

夜明けの江津湖120325-1

太陽が昇る前の早朝の下江津湖。

この日、6:30時点の熊本の気温は6.1℃と冷え込み、
冬のように寒かった。

早起きしすぎたようだが、
前日に引き続き、釣りは楽しかった。


2012/03/25撮影 下江津湖にて



2012.03.26    カテゴリ:  魚類 

   久しぶりの熊本

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2012.03.26    カテゴリ:  古人に学ぶ 

   私の履歴書(中村汀女)より 釣りの楽しさを知る

『村人たちは江津湖のフナやコイを銛(もり)で突いた。父もその一員であり、大型のフナの、その銛傷から噴き出る血は、痛ましくもあったが美しくもあった。禁漁区でも、馬尾(まなお=細い釣り糸)一本釣りの漁だけは許されていたので、父には楽しみの釣り舟が、いつも塘(とも)の真下につないであり、ここから、私は生涯(?)の希望である釣りを覚えた。

 塘は大事な道路であり、一種の物見ごとき役を果たしていた。そこを出れば湖の対岸の村をながめ、遙か東方に阿蘇が横たわる。そこまでを約十里(40㌔)ほどの遠さと知ったのは後年のことであって、彼方東の空を区切る阿蘇連山までを、私は「わが国」-日本ともいいたき気持ちで過ごしてきた。山の彼方は見知らぬ他国であった。

 晴れた日には川には藻刈り舟があちこちに出た。細竿二本を入れてもぎとるのである。濃みどりの藻がたっぷり竿先に持ち上げられ、水の面をはなすとき、一ゆすりすると泥が洗われる。しかしその濁りはすぐまた澄んでゆく美しい水の湖であった。そういう藻刈り舟のあい間に父たちの釣り舟がまじる。私は幾つごろからその舟に座るようになったか。とにかく、父はどこにも連れていった。はじめは舟べりに胸を押えて、飽きなく水中をのぞいたのを思い出す。水の世界の面白さ、魚が走り、藻がなびく、そして水底にはまたさまざまのものが棲んでいた。手長えび、どぐら(なまりか)赤い腹のいもりもいた。ながめていると自分も水の世界の一員になっている思いであった。

 父が餌つけてくれた釣り竿を手にし始めた年を思い出せない。



 「ホイ、引いてるぞ」と言われて引き上げる糸に、ビンタ-たなご-がかかって来たそうした日から、私には世に釣りほど楽しいものはない気がしたのである。そして水棹(みざお)で舟をこぐことをを覚えた。舳(へさき)に立って棹を右に左にさしてゆくのは初歩。大人たちは、みな艫(とも)にいて、片側のみの棹どりで舟はすっすと進むのである。私にそのこつがやがてのみ込めた。

 阿蘇からの伏流がこの岸に来て清水となって湧くのだが、その湖底の砂地に、突き当てる水棹の快い感覚を私は知った。

(中略)


 私は舟に乗らねばならぬ釣りよりも、もっと手軽な岸で釣り竿をさし出したり、堀川と呼んでいた水田の間を流れる小川の、石橋に行って一人で釣った。そこにちらちらと見えているビンタを何匹か釣ればよいのである。』

絵はがき05-江津湖の釣り船



引用:
私の履歴書 中村汀女(日本経済新聞 昭和47年5月13日~6月4日連載)②より

2012.03.23    カテゴリ:  古人に学ぶ 

   私の履歴書(中村汀女)より 熊本の小湖のほとり

 「日露戦争はこの時代にはさまる。わが村からも何人か出征した。母がよく私を連れて遊びに行ったみつばあさんの家は、田んぼから吹き入る西風が涼しかったが、そこの縁側の柱をくるくる回りながら、私は「日本勝て」としきりに言っていた。」

 「さて戦勝、どこの村でも凱旋門を立てよとのお触れがでたようだ。
 父のところに皆が相談に集まり指示を仰いだ。そして成立したのが、各戸に一つは持ち合わせの藻刈り舟二そうを、堤の上に向かい合わせに押し立てて、その間に万国旗が渡された。私たち子供の誇らしかったこと。」

 「藻刈り舟と言ったが、江津湖という小さな湖水の岸の村々であり、それに沿う堤は、塘(とも)と呼ばれて加藤清正、いわゆるせいしょこ(清正公)さんが作ったというカーブ見事な長堤だが、村人たちはその湖水の藻を刈って肥料にし、禁漁区とはいえ、駐在の目を盗んで、フナやコイを銛(もり)で突いた。」

絵はがき22-水前寺の下流江津湖の景




引用:
私の履歴書 中村汀女(日本経済新聞 昭和47年5月13日~6月4日連載)①より抜粋

2012.03.23    カテゴリ:  古人に学ぶ 

   俳人 中村汀女

 かつて画図村の村長斉藤家の一人娘として生まれ、上江津湖畔で育った俳人中村汀女(1900-1988年)は、「汀女句集」の自序にこう書き残している。

「今は熊本市内だけれど、江津湖はやはり私にはもとの江津村がふさはしい。
湖畔の人たちは東遙かに阿蘇の山々を仰ぎつつ、田植、麦刈にいそしみ、その間に藻刈船を浮べ、夏に入る日は川祭の御神酒を湖に捧げる。私も朝夕湖を見て育った。走る魚の影も、水底の石の色も皆そらんじている。父母尚在す江津湖畔に私の句想はいつも馳せてゆく。」

絵はがき11-水郷水前寺の下流・江津湖の景


引用:
水郷画図の歴史(画図町町史刊行会 1985年)

2012.03.18    カテゴリ:  遊び 

   毛針釣りの思い出

フライフィッシングは、
3才下の弟から習った。

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中学の頃、鳥小屋で拾った鶏やクジャクの羽を使って、
アユ掛け針(イトを結ぶ環がついているから)で毛針を作った。
当時和式のカガシラと洋式のフライの違いも分かっておらず、
習う人もおらず、うまくいかなかった。


次に山本釣具のフライコーナーへ行き、
ハヤが釣れそうな極小の毛針(#20)を1つ買った。
今思い起こせば、ライトケイヒルという毛針だったような気がする。
フライ用の竿やリールは持っていないので、
これをハヤ竿に0.8号の道糸で結び、江津湖で試した。

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夕方に江津湖に立ち込み、上流からそっと流すと、
カワムツオイカワがおもしろいように釣れ、
餌も要らない。手返しよくやればよく釣れた。
しばらくこの方法で、1つの毛針でたくさんの魚を釣ったものだ。

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高校生になった頃、
通っていた高校の近くに「プロショップ イハラ」があった。

男らしくかっこいい店主が、
灰色熊の大きな看板を掲げていた。

そこは20代~30代のフライマン、ルアーマンがたむろし、
何故か弟(当時中学生)もそれに混じって、
毛針の巻き方を覚えてきた。

そのうち弟は
古いリールやラインや毛針をもらってくるようになった。


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弟が江津湖でフライをやり始めるようになると、
自分もやらせてもらった。

フライは餌で狙うよりもずっと広範囲に探れ、
遠くのライズも手が届く。


自分でも毛針を巻くようになり、下手な毛針でも、
カワムツオイカワであれば、結構釣れた。

雑魚相手の場合の毛針は、美しさよりも頑丈さが重要だった。




高校2年の春、灰色熊の看板の店で、
初めてフライロッド(ウエダAF-7023)を買った。
これに安価なコータックのリールを付けた。



ついに武器を手にしたことで、
江津湖での毛針釣りに頻繁に行くようになった。

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しかしある日、なんということか、
自転車の車輪に二本継ぎの竿をはさんでしまい、
ポキンと折れた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



その後、山本釣具のガラス棚に永く飾ってあった、
憧れのフライ竿を買った。
(フェンウィックE78-3Fジムグリーン・ヤマメバージョン)

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この竿は20年近く経った今でも使えるが、
最近では毛針釣りをすること自体がなくなってしまった。

気持ちに余裕を持てるようになったら、また再開したい。

2012.03.14    カテゴリ:  両生類・爬虫類 

   イモリ

イモリはアカハライモリとも言われ、
山際の水田など水辺を住みかとする。

明治生まれの俳人、中村汀女さんの話にも、
江津湖の赤い腹のイモリが登場する。
かつては、江津湖の各所で普通に生息していたらしいが、
現在はまったく見かけない。


大きなもので全長は10cm程度となり、
腹部の毒々しい朱色を除くと全身が黒い。

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2011/08/13 菊池渓谷にて



昼も夜も活動するが、どちらかというと夜の方が活発に動き回り、
水田などでオタマジャクシやミミズ、昆虫類などを捕食する。

メスは粘着質の卵を一つずつ水中の植物などに産みつけ、
葉で卵を包むように保護するという。
ふ化した幼生は、上陸して山林などで過ごし、
成熟するとまた水辺に戻ってくる。
このような、水辺と森とが接する場所は、
公園化が進んだ江津湖にはほとんど残っていない。

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2011/08/13 菊池渓谷にて イモリの幼生



通常単独で生活する。
イモリがいる地域の整備された農地周辺では、
排水路に落ち込み、仕方なく水路のマスに集まっていることが良くある。
また以前、他県で水田魚道をイモリが這い上がるのを見たことがある。


記憶は曖昧だが、2000年頃だったろうか、
一度だけ江津湖でイモリを見たことがある。
江津湖の芭蕉園付近に、数匹のイモリがいた。

新熊本市史にも同様の記述があり、
これについては自然分布か人為的移入によるものか不明と書かれている。

2011/08/13撮影 菊池渓谷にて

参考文献:
ヤマケイポケットガイド24 日本野生動物 久保敬親 山と渓谷社
新熊本市史 通史編第一巻 自然・原始・古代 新熊本市史編纂委員会編集 熊本市 p.282
私の履歴書 中村汀女(日本経済新聞 昭和47年5月13日~6月4日連載)②釣りの楽しさを知る


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